1.本多作左衛門重次(ほんだ・さくざえもん・しげつぐ) 2.戦国時代
※本多作左衛門重次は徳川家康の重臣。問題は、織田・徳川連合軍VS武田軍で争われた長篠の戦い(1575年)の際に、陣中から留守を預かる妻に送った手紙の文面です。
簡にして要。手紙文の模範として紹介されることの多い有名な文章です。(手紙そのものは現存せず、江戸時代に書かれた書物に、逸話として残されています。)
※「お仙」は嫡子・仙千代のこと。長篠の戦い当時3歳でした。長じて本多成重を名乗り、越前・丸岡城主となります。
丸岡城は、現存天守閣では最古の建築様式を持つ城ですが、仙千代(本多成重)との縁から、その一画に「一筆啓上・・・」の石碑が建っています。(城の所在地:福井県坂井市丸岡町)
※「火の用心」というフレーズですが、京都の愛宕神社(全国の愛宕神社の総本宮)はじめ、主に京都の寺社で「火迺要慎」や「火乃要慎」の護符が古くからあることから、本多重次が最初に考えたフレーズではなさそうです。
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